インタビュー・シリーズ
ーinterviewー

第10回対談:「「信」と徹底したお客様目線が、高い技術開発力が命を守る「カギ」を拓く企業」
日本電子工業株式会社 代表取締役社長 山之口 良子 氏

インタビューにむけて

 

豊田会長代行(以下、豊田):
 本日は、新鋭経営会社長インタビュー・シリーズに、日本電子工業(株)山之口社長にご登場頂きました。貴重なお時間を頂きありがとうございます。特に、今回はインタビュー・シリーズでは、初めての女性経営者のご登場です。
 山之口社長様は、「生命を守る技術を拓く」を謳われて、防災/防犯システムの設計、製造、提案、販売、施工に電子化の流れを作り出され、また、企業経営については、「信」を社訓とされ、従業員を非常に大事にされ、いろいろと特長ある取り組みをしておられます。ものづくりに対する表彰を受けて評価される共に、2016年には産業界で活躍する女性が表彰される「大阪サクヤヒメ表彰」も受賞されておられます。
 本日は、山之口社長様の企業経営への想い、また、社是、社訓の意義などを通じて、経営の神髄を伺えるものと思っております。

 

豊田:
 山之口社長の経営についてホームページなどを拝見しますと、かなり特徴的な取り組みをしておられますので、ぜひ、想いのたけを語って頂ければと思っております。まずは、社長として企業経営に携わるようになられた経緯などの話からお聞かせ下さい。

 

国産電気錠を初めて創る

 

山之口社長(以下、社長):
 当社は今年でちょうど55年を迎えておりますが、創業者である私の父が、我が国で初めて電気錠を開発しました。父は、大阪市立大学の電気系を出ており、祖父が貿易商をしていたのですが、そっちの商売には全く興味がなくて、そこそこにやっていたようです。父は自分で電気関係の何かを創ろうとの意欲がかなり高かったようで、貿易商の方はたたみまして、未だ未だ黎明期であったセキュリティ機器メーカーを起こしました。その当時に欧米からの輸入品の中に我が国では国産されてなかった電気錠があり、我が国ではまだそのような錠はありませんでした。そこで、父は電気錠を創ったのです。

 

豊田:
 電気錠を我が国で「初めて」創られたのですか。

 

社長:
 今でこそ、オフィスや学校などの入退室には、カードでというのは常識になっていますが、55年前というのは、自分の家に鍵もかけないような時代であり、その当時に電気で動く鍵を創ろうと思ったことは、私たちの発想ではなかなか出てこないものでした。その意味では、かなり先見の明があったと考えています。もし、当社が食品とか繊維とかの競争の激しい業界にいたら、もうとっくになくなっていたかも知れません(笑)。
 市場の規模そのものは莫大なものではないのですが、電気錠というニッチな分野が当社の生き残りをもたらしたとも。現在、ホームセキュリティの分野は、業界そのものは年に10%程度伸びており、着実な成長が期待されています。

 

豊田:
 現在は競合する同業他社はかなりおられるのでしょうか。

 

社長:
 勿論、ずっと規模の大きな、いわゆる鍵屋さんと言われる企業がおられ、鍵と電気錠を一緒に作っておられますが、当社は電気錠の専業メーカーです。カードキィ、暗証番号キィなどいろいろな拡がりを持ち、端末のみならずそのシステム開発までも取り扱うところまで拡がってきております。

 

事業の継承へのお話:親子の葛藤が経営の立て直しへ

 

社長:
 その中にあって私は女の子3人姉妹でして、私が長女であり、他社に勤めていたのですが呼び戻され、ついでの主人も一緒に勤めを辞めて当社に帰ってきて、事務の手伝いを行いことになりました。30年以上一緒に仕事をしてきましたが、父はなかなか事業を譲ってくれませんでした。ただ、経営がかなり厳しくなってから、やっと譲ってくれました。

 

豊田:
 今のご主人は会長という立場におられ、ホームページを見せて頂いても、お二人の写真が一番に載せてあるなど、ご夫婦での経営の印象が強い感もします。先ほど事務所でお隣におられた方が会長のご主人様ですね。

 

社長:
 普段は東京とか地方が多いのですが、今日はたまたま大阪にいたもので、お会いいただけました。

 

豊田:
 会社を引き受けられた時はかなり厳しい状況のようでしたが。

 

社長:
 そうなのです。父は、実は、研究者なのです。大学にでも行って研究・開発をしていたらよかったのではというようなタイプで、論文を読んだり、論文を書いたりすることが大好きでした。
 元々、自動車のABS(註:アンチロック・ブレーキ・システム(Antilock Brake System);急ブレーキあるいは低摩擦路でのブレーキ操作において、車輪のロックによる滑走発生を低減する装置のこと)に使うセンサーを作っておりました。ABSに使うセンサーを開発したいと起業しましたが、すぐには食べていけないので電気錠でつないでいました。
 私たちが会社に入った頃から、研究に没頭し始めまして、会社にも来なくなってきました(笑)。大阪府の当時の産業技術研究所にお部屋をお借りして、そこでずっと研究を続けており、会社にも来ないし、勿論経営はみてくれませんでした。開発にすごいお金をつぎ込みまして、知らないうちに、年商額ぐらいを研究費につぎ込んでいました。それでどうしようもなくなって、経営権を譲ってくれといいましたが、オーナー社長でしたから、「これで人類を救うのだ」と、「交通事故をゼロにするのだ」といいました。そう言われたらこちらも「うーん」と思うのですが、会社が成り立ちません。そこで、仕方なく、無理矢理説得して株を譲ってもらい、その上で、「研究は縮小してくれ」といいました。やりたいとことをやりたいのにと、本当に怒っておりましたが、仕方なくやりたいことを縮小してもらって、それからは、電気錠の本業に軸足を置いて経営を進めました。

 

豊田:
 かなり厳しい葛藤の中、経営を引き受けられた経緯をお伺いできました。研究開発と事業としても経営とのバランスの難しさでしょうか。
 その意味では、経営の楽しさはもう少し後なのでしょうね。

 

社長:
 そうですね。当時はとにかく会社をなんとかしなければの想い一心で、引き継いだというよりは、私が奪い取ったとも言えますしね。もし、あのままで継続していたら確実につぶれていたでしょうね。
 父は研究者なのでお金に全然興味がないのです。自分が儲けたいとかいうタイプではないのです。お金持ちになりたいとか名声を得たいとかというのでなく、研究者として認められたいとの想いが第一で、その意味で本当に純粋なのです。

 

豊田:
 確かに大学にいたときには、そのような想いの強い連中が多くはいました。そのような開発力のある人がよく起業することもあるのですが、往々にして、その人自身が社長をやるようなベンチャーは、だいたいうまくいかない例を多く見てきました。経営の専門家を招き、自分は、経営方針に則って、求められる開発を行いますというようなベンチャー企業は成功している例が多いですね。JSTのプラザ大阪の時代にも、ベンチャーを興すような研究者を支援しておりましたが、まさに、経営者と開発者の役割分担の重要性を経験しておりました。
 御社では、研究一筋とはいえ、そのようなお父様がおられて、大きな基盤ができたことも確かなのでしょうね。その意味でライセンス運営はどうですか。

 

社長:
 なかなかライセンスを引き受けていただく企業もなく、徐々に特許も切れていっております。
 ただ、当社のように一つのものにこだわり、世の中にないものを出して行くという精神は確実に引き継がれていると感じますね。その意味で父あっての企業基盤とも言えます。

 

「命を守る技術」へのこだわり:電気錠と非常時一斉解放技術

 

豊田:
 このような経緯と事業経緯からみて、もし、事業の内容を一言でいうならばどうなるでしょうか。

 

社長:
 そうですね、「命を守る技術を提供する」ということになるでしょうか。例えばABSセンサーにしましても、電気錠にしましても、私たちが直接その場所に行って助けることが必ずしもできるということではないのですが、例えば1mmでも手前で車が止まることができれば、けがすることもないというように、また、オフィスビルなどで火事や地震などが起きたときに、非常出口が開いていれば避難でき、外からのレスキューも入れるというように、間接的ではありますが、生命を守るのになければならない技術を提供していると自負しております。例えば、最近は、窓や扉も2重窓や密閉度の高いドアとなっており、ハンマーでもなかなか割ることができないなど、非常時に閉まっていては、逃げることも入ることもできない状況にあり、そういうときに非常扉が開いていれば、外から助けることも容易となります。このように、電気錠は小さなものなのですが、生死を分けるところに使われているのです。阪神大震災や東日本大震災の時にも、空いていて助かったとの声を沢山頂きました。

 

豊田:
 東日本大震災の時は、肥後橋の事務所ビルにいたのですが、揺れ始めると、席の前に座っていた事務の女性が、入り口のドアを開けておきますよと、開けに行ってくれたのですが、なかなかそこまで思い及びません。それが、震度に応じて適切に非常ドアを開放してくれるなら、確かに助かりますね。
 錠というものは閉めるものと思っていますが、非常時に、直ちに解放することを考慮することは、ある意味電気錠だからできることですね。このようなシステムを作られたのは山口社長のところが初めてですか。

 

社長:
 そうですね、電気錠を最初に国産化し、更に、非常時に一斉解放するシステムも、我が社が最初に作り、世の中に広めて行きました。今でこそ、法律化もされ、どのビルにも当然ついているのですが、我が社が電気錠を作り始めていた昭和3、40年代は、「電気錠て何?」という時代で、意識の低かった時代に父が一軒一軒と説得に当たって広めて行きました。
 このような技術の拡がりをもたらしたことが事業の継続性と拡大にもつながり、新しい技術が新分野を生むことにもなりました。

 

社長:
 鍵は、皆様の命、財産を守るものですよね。怪しい人に鍵など預けませんよね。当社の仕事は、まさに鍵をお預かりする仕事でありまして、例えば、メンテナンスや改良を加えるときなど、鍵をお預かりすることになります。そのとき怪しい人には鍵を預けませんよね。我が社は鍵を作っていますので、逆にいくらでも鍵が作れるわけですので、まさに「信頼」が重要で、信頼を失うと任されないし、注文もとれないことになるでしょうね。55年間は信頼の積み重ねでもあります。
 我が社の職員は、命を救う技術を提供し、また、鍵をお預かりする仕事であることから信頼を得ているという自負と誇りを持っています。

 

「企業は人なり、人が企業を興す」と「信」

 

豊田:
 このように信頼を細説にされる企業にあって、ホームページを見せていただくと、「企業は人なり。人が企業を興す。」と書かれておられますね。この企業経営への根本の考え方はどういうことなのでしょうか。

 

社長:
 実は先月に創業者の父が86歳で亡くなったのですが。

 

豊田:
 存じ上げずに失礼しましたが、これまでの企業の基盤を築かれたご尊父様がなくなられたと言うことで、誠にご愁傷様です。

 

社長:
 この言葉は父の言った言葉なのです。会社の理念など、いろいろな考え方をまとめて残していて、父が常々言っていた「ことば」を、私がまとめたものなのです。父はなかなか書いたりしてくれないので、私が書きものにしました。先にお話ししましたように研究者なので。
 常日頃からいろいろなことを言っていたのですが、一番に言っていた言葉が、信頼の「」と「企業は人や」ということでした。一番大事なのは人や、と最後まで繰り返し言っておりました。

 

豊田:
 今もお話しいただきましたが、行動規範としても上げておられる「信」はどういう意味と考えておられますか。

 

社長:
 やはり「信頼」の信で、「信用」されるの信なのです。また、おなじ「しん」の音では新しいの「新」や進むの「進」など、いろいろなところに通じると言っておりましたが、やはり我が社が扱っている商品からも「信用」「信頼」が一番に大事なことと考えていたようで、仕事で、お客さんに嘘をつかないことようにと常々言っておりました。
 その信を生む「人」が大切であり、人が仕事を作るのであり、仕事が人を作ることもありますが、人がいないことには何も始まらないと言っていました。

 

豊田:
 講演で、時々、儒教での5特の「仁・義・礼・智・信」を取り上げるのですが、最後の信を大事にされていた事情がよく分かりました。その前の仁、義も大切ですが、お父様のお考えからすると、「礼」も非常に大事にされたのではないかと思いますね。
 行動規範のところに、「各自の英知、勇気並びに豊かな人間性を限りなく発揮できる創造的、理想的、技術集団を確立する。」と書いておられるのですが、この点の意図はどこにありますか。

 

社長:
 この言葉も父が常日頃から話していた言葉です。要は、技術的にレベルが高いだけではダメで、「人間的に豊か」であること、例えば、音楽を聴いたりとか美術に親しんだりとか、人生が豊かでないとダメである。単に家と会社の往復だけの人生でなく、家族とのふれあいを大事にするなど、人間的に豊かな生活を送って欲しいとの想いをいつも話していましたので、そういうことをこの言葉にしました。

 

豊田:
 割合と研究者にはエゴイストが多いとも言われますが、大学でも、趣味豊かな先生方が多いのも事実です。
 このような豊かな個人が英知を生み、それに信頼を得て形になっていくのですよとの想いなのですね。研究者全般がどうのと言うよりは、お父様の人間性なのでしょうね。

 

社長:
 確かに技術者ではありましたが、すごく音楽が好きで、芸術にも親しんできましたし、ある意味すごく多趣味な人でした。ハワイアンが大好きで、若い時、ハワイアンがはやっていたようで、自分でバンド組んでアルバイトしていたとか。

 

豊田: 確かに夏の風物詩とも言うべきハワイアンが戦後はやった時期がありましたね。お伺いしたところ、やはりお父様の人間性、情緒が強く感じられますね。これが技術開発を支えたのでしょうか。

 

「盛和塾」での学び:迷いのない真っ直ぐな道を

 

豊田:
 そのお父様の経営が行き詰まったときに経営を引き継がれたのですが、経営に携わられて後に、何か大きな変化をもたらした事象はありましたでしょうか。

 

社長:
 そうですね、会社を引き継いだときはとにかくどん底でしたので、それ以上悪くなることはないだろうと(笑)楽観的に考えまして、とにかく自社のコアーの事業、電気錠のようなセキュリティ事業をしっかりと推し進めていこうと考え、足下の事業をしっかりやろうと考えましたね。

 

豊田:
 その方向で、例えば事業を広げるために、いろいろと努力されたことは多かったかと思いますが、その中で何か工夫されたことはありましたか。

 

社長:
 ちょうど父から経営を引き継いだ後すぐに、「盛和塾」(下註参照)に入りまして、京セラ名誉会長稲盛和夫氏の経営哲学を学びました。それからですね、段々と拓けてきたのは。哲学的なことと言っても論語とかというものでなく、正直に、仲間のために、一生懸命働こうとか、努力しようとか、謂わば、おじいちゃん、おばあちゃんから毎日言われていた、修身の教科書に書いてあるようなことをいつも言われるのですが、ある意味それが「神髄」ではないかと。経営をしていると、ちょっとこっちの方が儲かるのでは、ちょっと良さそうであるとか、これを行うと損するのではないかというようなことを、得てして判断しがちですが、ビジネスとして、会社の生き方として何が正しいのかを考えて貫いておくと、自ずとまっすぐ歩けるようになります。
 それまでの私のビジネスでの判断基準は、やはり「損得」でした。盛和塾に入ってからは、何が正しいのかを判断基準として経営を進めました。

 

【盛和塾:もともと京都の若手経営者が、京セラ株式会社の社長であった稲盛和夫から、人としての生き方「人生哲学」と経営者としての心の持ち方「経営哲学」を学ぼうと1983年に立ち上がった自主勉強会に端を発しています。
 真剣に学ぼうとする塾生と、それに応えようとする塾長稲盛がお互いに魂の火花を散らす人生道場として、また塾生同士の切磋琢磨の場として、全国各地区の盛和塾に多くの熱心な若手経営者が集まっております。稲盛は心ある企業経営者こそが 明日の日本を支えるとの信念に基づき、盛和塾に取り組んでいます。(盛和塾ホームページより)】

 

豊田:
 これは非常に大切なことですが、何が正しいかの判断は、まさに難しい課題では。

 

社長:
 確かに難しいことでしょうね。ただ、そんなに難しいことをいっているのでなく、お客さんをだましてでも、あるいはライバル企業を蹴落してでも儲けようとするようなことはしないというようなことです。まっすぐ行くと、勿論横やりや足の引張りは多々ありますが、それはそれでいい、我が道を行き、従業員にも恥ずかしくない道を、お客様にも喜んでいただくための道を迷いなく歩むことです。

 

豊田:
 先日も別件で京セラにお伺いしたのですが、京都の周りの企業では、稲盛イズムの影響を受けておられると経営者が多く、やはり何か感じさせるものが多いのでしょうね。

 

社長:
 特に教祖様というようなことでなく、おじいちゃん・おばあちゃんが言っていた道徳を経営と結びつけておられるとところが、今までになかったことではないかと感じています。
 「正直にやっていて金なんか儲かるかい」というのが大阪商人の言い分のようなところがあり、生き馬の目を抜く、そんな人と同じことをやっていてはダメとか言う人もいるのですが、そうじゃなく、幸之助さんもそうですが、素直、すなわち真っ白な心が第1で、だまそうとするのでなく真直ぐに貫くことが大切なのですが、これはやはり自分がよほど強くないとできないことでしょう。
 いろいろな迷いの中で、お客様に喜んでいただくためにはこれだなと一心に思えば、道が拓け、迷いことなくやれるようになりましたね。

 

豊田:
 今おっしゃった「自己の強さ」ということが、非常に大きなポイントですね。誰もがぶれないと思いつつ、ぶれないことはそう簡単なことでもありませんね。誘惑も多いことですし。

 

社長:
 この世の中、いい話の裏には必ず何かがあるのが常で、昔だとふらふらしていたかも知れませんが、今は一切聞かないことができるようにもなりました。

 

女性が経営者になること:金比羅宮を登って見える景色

 

豊田:
 私事ながら、現在、大学にてダイバーシティー事業で、男女共同参画環境整備のお手伝いしております。そこでは、大学・企業での女性研究者の増加、特に女性研究者がリーダーとして活躍できる環境の整備が求められております。最近は、まだまだ少ないものの女性若手研究者は増える傾向にはありますが、理系では上位職が圧倒的に少ないのです。女子学生が研究者を目指すには、女性の上位職へのキャリアパスが見えることが重要です。
 その意味でも、先ずは山之口社長の女性経営者としてのお話をお伺いしなければなりません。
 我が国の企業における女性の就業者は増えつつあり、2015年43.2%と他国とは大きな変わりが無くなってきましたが、役員となるとに女性が占める割合は、たった3.4%と極端に低いのが事実です。社長様は、その中での女性経営者ということです。
 我が国で女性経営者が多くないことはどのようにお考えでしょうか。

 

社長:
 そうですね、3年ほど前なのですが、ある都銀に呼ばれて、そこでの支店長候補の女性銀行員に講演して欲しいと言うことで行きました。50人ほどおられ、多分30代後半ぐらいの方々でしょうね。多くの女性は、次は支店長にと言われると、ほとんどが「嫌や」と断るそうです。確かに、転勤はあるし、残業もしなければならないし、何かあると部下に付いていって何かとしなければならないし、など、家事ができないし、子供の世話もできなくなるや、主人が転勤は無理ですとかで、皆さん拒まれるのです。そういうことなので、チャレンジする心を話して欲しいと言うことで講演に行きました。
 まず、昇進を断ることが、私には信じられなくて、そんなチャンスがあるのに。中小企業では考えられないことなのに、なぜそれを断るのかなと。
 そこで話したのは、四国に金毘羅宮がありますが、一番下に居たら、土産物屋さんしか見えないでしょう。しかし、700段(註:本宮まで785段、奥の院まで1368段)の階段で、一番上まで登ったら、海が見え、遠く本州まで見渡せますし、勿論、近くの土産物屋さんも見えます。このように、階段を上っていったら、違う景色が見えてすごく楽しいし、できることも拡がるのよ。先ずは、登ってみたら。そうすれば、違う世界が拡がるし、きっとプラスになるからチャレンジしてみたら、と話しました。

 

豊田:
 同じような状況は大学でも見られますが、そのような状況を作り出したのは、実は男社会で、女性にそのような判断をさせたのかも知れませんね。
 ただ、最近は、女性の先生でもご主人と別居して単身で来られている方もおられますので、変わりつつあるようですが。この変わりつつある中で、制度ばかりを変えようとすることのみでない施策が求められている感じもしますね。

 

社長:
 大事なのは、女性自身の考え方の問題で、チャレンジ精神があれば、保育所も探しますし、ご主人とも、極端な話「仕事を辞めてよ」、「子育てはあんたがやってよ」と言うと思います。ご主人も奥様もキャリアを本当に考えれば何らかの方法を考えるのではないでしょうか。そこには何か思い込みがあるようですね。

 

豊田:
 なかなか難しいことでもあり、強い意志が必要ですね。男社会が作った常識に流されているとも。

 

社長:
 女性もあまり固定的に考えずに、なるようになるので、取り敢えずやってみるかというぐらいでいいのではないかと思うのですが。みんなまじめすぎるのですよ。

 

豊田:
 それをみんなに求めるとなると、かなり難しい感もしますが。

 

社長:
 みんなまじめなのですよ。あれもこれも100点を取ろうとするのですが、どれも60点ぐらいでいいのですよ。全てに全力は無理ですので。

 

豊田:
 最近の動向は変わりつつあるようですが、時間のかかることでしょうね。
 我が国では30代の女性の就業率が下がるという、いわゆるMカーブとなっているのは、世界主要国で日本と韓国だけなのです。30代で退職されることは我が国にとって人的資源の損失とも言えますね。このあたりが変わらないと上位職へは・・・。
 ところで、山之口社長は、会社経営の実績などが評価されて2016年の「大阪サクヤヒメ表彰」を受けておられます。第1回目の表彰でしたよね。高い評価を受けておられたことに対してお慶び申し上げます。
 この賞を受けられまして、何か変化がありましたでしょうか。

 

社長:
 サクヤヒメ賞は前会頭が発案されたようで、対象は経営者のみでなく社員さんや、変わったところでは歌劇団のOSKの方など、多彩な方々が広く受賞されています。多分30名ぐらいで、それぞれの分野で活躍されている方々で、賞の特異なことと受賞者の多様性も大きな特長です。
 この受賞者が集まるインフォーマルな懇親会が時々あるのですが、そこでの女性同士の横のつながりが強く、仕事の話とか、ご家庭の話もありますが、やはり、これから女性の活躍社会をどのように作り上げようかなど、皆様それぞれにお考えをお持ちで、お話ししているだけでも楽しくなります。

 

豊田:
 そのようなお話しを、是非、学生さんにも聞かせたいですね。
 是非、皆様の集まりの中で、女性の働き方改革が望まれるところであり、皆様の活動に期待ですね。

 

お客様目線が生むもの:情報の共有が重要

 

豊田:
 山之口社長の会社の経営をホームページなどでみるとき、「家族的経営」を謳っておられるように見えるのですが。

 

社長:
 そうですね、人数もそんなに多くないので。長女も入社しましたので、会長の主人とともに経営するとともに、社員共々家族的な雰囲気で経営しております。

 

豊田:
 先ほどからもお話しされていましたように、電気錠はお客様の生命を守るものであり、常にお客様目線で経営に当たられているとのことですが、そのお客様目線で、何か新しい製品や事業が生まれたというようなものはありますか。

 

社長:
 「お客様目線」で生まれているのが常なのですよ。電気錠は父が初めて創ったのですけれど、それを非常出口に使ってはどうか、火災報知器と連動させてはどうかなど、新規開発の全部はお客様からの要望の実現し、進化してきているのです。
 電気錠で、通常は開きドアタイプのものに用いられていることが多いのですが、我が国では、窓などはほとんどが引き戸様式ですが、その引き戸用に「ケアロック」というものを開発しています。我が国の通常の家庭のベランダはほぼ100%引き戸であり、また、障害者施設・高齢者施設病院などはほとんどが引き戸となっています。そういう引き戸用に開きドアタイプの電気錠を改良としたのですが、電気錠はなかなか付けることができませんでした。そこで引き戸専門の電気錠を10年ほど前から開発しました。これも、お客様からの要望で、例えば、窓から認知症の人が脱出する、その階が高い場合には、墜落の危険もあり、なんとかしてくれませんかとの要望というより、仕様を教えていただいて開発したものです。
 老人ホーム用エレベータについても、認知症の人がドアの開け閉めが面白いというのでボタンを押し続ける、場合によってはエレベータに乗って出て行ってしまうなどの対策に、エレベータの上部にこのエレベータカバーロックを付けたら事故ゼロとなったなどと喜んでいただきました。このようなお客様から、こんなことできませんかなどの要望は、いろいろな商品やシステムの開発につながっています。

 

社長:
 お客様の困りごとを教えていただくことが、開発の原点でもあります。客様のニーズをひらってきて、開発して販売し、またそれに対する既存のお客様担当のお客様サービスセンターなどでご意見を頂いて調整・修正することが商品開発の常なのです。
 商品を販売したときは、その後ずっと面倒をみさせていただきます。長い人では30年以上も。その間には、勿論、プチリニューアルしたり、オーバーホールしたり、いろいろなことをさせていただきますが、このように長年面倒をみている技術者は、15年経つとどうなる、20年経つとどこがどうなる等が分かっていて、その経験が次の商品などの開発につながっていくのです。

 

豊田:
 その意味では、メンテナンスしておられる方が、営業もしておられるなどのマルチタスクなのでしょうか。

 

社長:
 そうです。メンテナンスを売る、ことをしています。

 

豊田:
 そこで大事なことは「気づき」でしょうね。そのための教育や意識を高める工夫をしておられるのでしょうか。

 

社長:
 従業員は、私には言いませんが、お客様の役に立ちたいという意識は非常に高く、私の役に立ちたいという意識はあまり高くないようですが(笑)。お客様に喜んでいただいたことが最大の喜びですが、怒られたりしたときにはそれを持ち帰り開発係などに伝え、もとものと設計の意図と違うところで評価を受けていたり、あるいは開発者の意図を見事に裏切ってくれる情報などを共有することにしています。意外な喜びごとは、開発のドライビングフォースになっています。

 

豊田:
 そのような有益な情報を共有し、それを「自発的」に活かす流れを作っておられるということですね。

 

オン・オフの制御を新しい事業に:お客様の「お客様」に

 

豊田:
 今後更に何か新しい展開というものはお考えですか。

 

社長:
 父が創業してから40年ほどまでは、OEM事業が中心だったのです。
パナソニック系さんのナショナルフリーロック美和ロックさんのフリーロックさん、能美防災さんの能美フリーロックなどは、それぞれのブランドで、全て本社で作っておりました。我が国で唯一の電気錠メーカーだったのです。
 このようなOEM事業は、オリジナル商品を開発しだしてからは、ほとんどやっていませんでしたが、今またセキュリティ業界を取り巻くいろいろなメーカーさんとか商社さんとかの状況が大きく変わってきて、例えば警備事業のセコムさんのようなところが、当然ですが電気錠を使っておられます。また、全く異なりますが、ネットワーク事業の通信事業者さんも、自社のもうけのために配慮したセキュリティに参入して来られているところが多く、そこで、問題となるのが「カギ」なのですね。カギを開け閉め、すなわち何かをオン・オフして課金することをしておられる訳です。このようなセキュリティ業界に必要とされるのは、鍵のみならず、開閉を制御するものなどをOEMで提供する事業に力を入れております。

 

豊田:
 確かに鍵は、まさにオン・オフであり、それを応用する範囲の広がりが、新しい事業をもたらし、新しい市場がまだまだあるということですね。ネットワークなどの拡がりは事業チャンスでしょうか。

 

社長:
 ネットワークがそれで完結すればいいのですが、ネットワークにはハードが付いてきます。ネットワーク専門の方々は、ハードが全くダメな方も多く、例えば携帯電話はご存じですが、その先のデバイスなどのインフラはご存じない。そのインフラを使いこなそうとすると、どうしても何かを動かす機構が必要になります。何かの情報が流れることで、チャリチャリとお金が入ってくることが通信事業者なのですが、そこに付く鍵であったり、開閉するものであったりを当社が提供して、各業者様に稼いでもらって、当社は商品が売れるということなります。この種の何らかのオン・オフ機能を持つものについて、現在超大手企業様から注文を頂いております。

 

豊田:
 そうですか。この分野はかなり発展性のある事業と考えておられるということですね。このような状況からも時代が変わっていっており、その流れをいかに的確につかみ、新しいニーズを捕まえることで新しい展開もたらすということですね。

 

社長:
 ドアの鍵でも、カードキイをかざして解錠していた時代が、今やスマホで解放したりする時代です。例えば、民泊などでは、今日・明日のみ開けられ、明後日は空かないようなキィを、スマホにダウンロードすれば、滞在の時のみ使える鍵となるというようなものも提供しております。民泊では、鍵の受け渡しができないことが多く、まさにこのような要求に対応した鍵が求められ、また、宅急便などの再配達を必要としない宅配ボックスの鍵、更には、現金輸送車の鞄に鍵を付け、解錠履歴やGPSを使った位置情報が把握できる鍵などと、いろいろなところに拡がりが出ています。
 基本のキィ・デバイスは、単純にオン・オフの「カギ」です。ただ、そこには沢山のインターフェイスがありまして、そのためいろいろな用途があり、本社の基本技術は多様な分野の企業に使っていただける訳です。

 

豊田:
 このような状況からは、用途開発という点では、御社で行われることもあるし、お客様間からの要望などもあると言うことですね。

 

社長:
 お客様からの要望は大きな宝で、例えば、この錠を電池で動くようにしていただけませんかというようなこともあり、そうすることで、300円のものが3万円にもなるわけです。そう、大きな付加価値を生み出します。

 

社長:
 現在、中国や韓国でも沢山作られていますが、今のところ、中国製よりは、キィポイントである信頼性と信用性に関しては、まだまだ日本製の方が評価を受けております。
 今も、よく泣き込んでこられるのです。壊れたのでなんとかして欲しいと。作ってもらったところに電話したら、電話がつながらなかったり、廃業していたりと。

 

豊田:
 いまや時代が変わり、安心・安全を支えるキィは、単に開け閉めだけでなく、入退室の情報などの管理などと連携しており、おかげさまというべきか、労働時間届けと入退室情報とマッチしていないということで、悩まされているという話も聞きます。また、今の事務所では、トイレに行くときには、カードキィを持って出ないと入れず、このような状況も御社のおかげですかね(笑)。便利さと情報管理ということなど非常に複雑に関係しているのが現状で、逆にいろいろなビジネスチャンスがあるとも言えるのですね。
 お話を伺うとかなりバラ色の未来でしょうか。

 

社長:
 いや、バラ色までは行きませんが、技術の進歩が早く、それぞれにプロが沢山おられます。ネットワークはその道のプロ、通信事業はその道のプロ、その人達が来られても、付いていくのが精一杯なのですが、本社は鍵屋ですから、その道のプロの知識はないので、ご一緒に開発していく、逆に教えて頂きながら開発に努めています。

 

豊田:
 そのような中で、継続性は、先ほどから話題となっているお客様目線が柱であり、その上で信頼の上での協調が大きなポイントなのでしょうね。

 

社長:
 商品を開発することでお客様が儲かることが重要で、本社が儲かるだけでは信頼を得続けられません。お客様の商売をますます広げていっていただけることが、事業の根本と考えております。
 お客様の「お客様」であり続けたいと。

 

一家で19段の家族:「道」が人をつくる

 

豊田:
 そろそろお時間でもありますが、この前伺うかがった講演では、我が家は合計で10数段ですよとおっしゃっておりましたが。

 

社長:
 そうです。家族で19段です。私が弓道、主人は空手・合気道・少林寺拳法、子供達は、空手が全て黒帯なものですから。
 そのほか、私は華道の師範の看板も持っておりますし、着物の着付けの看板も持っており、一応お教えできるのですが。
 もう少し涼しくなると、玄関の花は、毎週私が花を生けております。

 

豊田:
 このあたりの行動と会社経営とはつながりがありますか。

 

社長:
 お花を生けていたらすごく楽しいのです。「無」になれるのです。座禅瞑想も行いますが、同じような効果があります。

 

豊田:
 それが「華道」といわれる、「道(どう)」なのですね。

 

社長:
 本当に、まさに「」ですね。
 生け花は、いろいろな形を持つ花・木の特性を活かさなければなりません。特性を活かしていけるは、人も同じです。
 論語で、曲がった普通の木に真っ直ぐな木を乗せれば真っ直ぐになっていくという話(註:まっすぐな木なる優秀な官僚を上に乗せれば、曲がった木なる普通の人は優秀な人に感化されて国はうまく治まるという発想)があるように、曲がっているも個性なので、そこに真っ直ぐな人を沿わせると、段々と真っ直ぐになっていくものなのです。
 個性を活かすということは、個性を殺すのでなく、異なる個性を持つものが「和」していくことで生まれるのでしょう。

 

豊田:
 やはり弓道をやっておられ、弓道も「道」であり、あの矢を放たれる瞬間への集中力が一番に大切なところでしょうが、どのように集中力を高められますか。

 

社長:
 弓道は「胴」つくりなのです。下半身がしっかりしていないと的が狙えないのです。足腰が強く、地に根を生えたような状態を作らないと的は狙えません。この胴づくり、すなわち足腰がしっかりしていないと経営もできません。
 足下の本業にしっかりと腰を据え、財務的にも内部留保をしっかりと確保することが胴づくりでしょう。

 

社長:
 「道」というのは「心の錬磨」ですよね。会社もそうで、社員には「会社も道場だ」といつもいうのですが、会社に入って上のものの胸をかり、お客様のところで他流試合にいって自らを高めていくことが必要で、その場所が会社で、会社が道場なのです。

 

豊田:
 これが経営と人材養成の神髄ですね。
 それでは、後進へ何か伝えていただける言葉はありますか。

 

社長:
 これからますます難しい時代に入ってくるかと思うのですが、先ほどもいいましたが、人間として何が正しいのかを貫いていくと、自ずと自分の道が見えてくると言えます。ただ、なかなか正しいという道が必ずしも見えないことが多いのですが、敢えて貫く気持ちを持つことが、信頼をもたらすのではないでしょうか。会社、家族であっても、そのように生活していって欲しいなと感じています。
 周りに合わせる、人に合わせることで私って不幸・・となることは、あまりにももったいない。やはり天からお預かりした命を全うすることを望みたいですね。お役に立たない人などは誰一人いない訳ですから。
 本社の社員も、全部自分の子供で、社員は家族と考え、また、お客様も家族との気持ちで仕事をすることで、ちょっとだまそうというような発想は生まれません。そのように考えて欲しいですね。

 

豊田:
 ちなみに座右の銘は何かお持ちですか。

 

社長:
 これまで「信」を強調してきましたように、敢えて上げるとすれば、「無信不立(信なくば立たず)」でしょうか。これが人間の基本ではないでしょう。

 

豊田:
 本日は、長時間にわたりありがとうございました。山之口社長様の経営の変遷と普段の想い、また、自らの経営を支えるものなど、いろいろな面からお話をお聞かせいただきました。着実に改革を進め、経営者としての責任を果たしつつ、時代の流れを捕まえた新しい試みや、社員を家族と経営される姿勢には感動いたしました。
 今後のますますの発展を祈念しつつ、本日のインタビューを終わらせていただきます。ありがとうございました。

 

(インタビュー後記)

 

 今回のインタビューでは、お父様からの経営権の委譲について赤裸々に語っていただきました。いろいろな葛藤は、ある意味、会社の経営の原点ともいうべき物語とも感じました。経営を承継後の、会社経営への想いの強さを感じさせていただいたことともに、正しいことを行うことが「信」をもたらし、その信を教訓とすべきという人生観にも感動しました。
 我が国ではまだまだ数少ない女性経営者ですが、ある意味、弓道をきわめておられ、「道(どう)」を心の基本には大切なものとして考えられる経営視点は、女性視点というよりは、人間としての基本的考え方を大事としておられると感じました。フランスの政治家ジャン・モネは、「何事も個人なしには始まらない。しかし組織なしには継続しない」といっておりますが、個人としての正しい行いを貫く精神と、会社として社員は家族と考えての組織の意義を明確にされて経営されていることに大きな感嘆を感じました。(豊田)

ページTOPへ戻る