インタビュー・シリーズ
ーinterviewー

第15回対談:「「世の中にないもの」から 1 を創り出すオンリーワン企業へ -“ I Will ”の強い意志が“ Always New ”なる製品を創り出す技術力を生む-」
岩崎工業株式会社 代表取締役社長 岩崎 能久 氏

インタビューにむけて

 

豊田会長代行(以下、豊田):
 本日は岩崎工業株式会社の主要工場である三重プラントに岩崎社長様を訪問し,岩崎工業株式会社が目指す「人と暮らしに融合するモノづくり」の神髄と,会社経営の新しい展開やそのための工夫となどについてお話しをお伺いいたします。先ずは,この度はインタビューのお時間を頂きありがとうございます。
 岩崎工業株式会社は,1934年に創業され,長い歴史をもち,プラスチック家庭日用品雑貨,園芸用品および自動車用合成樹脂製品の製造販売を事業内容とする企業として,「ラストロ」(「光り輝く」)を開発コンセプトに,常に新しい商品開発を続けておられます。1999年に第4代社長に就任されました現岩崎社長のもと,後ほど詳しく伺いますが,事業を順調に拡張されて,容器では初めての「Good Design Award」を獲得され,更に,経済産業省近畿経済産業局の「関西ものづくり新撰 2015」や,経済産業省・中小企業庁「はばたく中小企業・小規模事業者 300社」技術・技能部門に選定されるなど,オンリーワンの価値創造をめざす企業として高く評価されています。
 本日は,「心地よい生活器」を目指し,時代の要請に的確に応えるものづくり企業の新しい展開と企業経営などについての根本的な考え方についてお聞かせいただきたいと思います。

 

創業時から消費者に直結する最終完成品を目指したことが今も生きる岩崎工業の強みに

 

豊田:
 本日はご多忙のところお時間を頂戴しありがとうございます。松阪の三重プラントにお伺いしましたが,木々に囲まれた素晴らしい環境ですね。

 

岩崎社長(以下、社長):
 この工場は1993年に開所し,約1万坪の敷地があり,当時工場周囲への植林を指示され,メタセコイアを植林しましたが,それらが今や大きく育ち,径が50センチを超えるほどに育ちました。台風などで倒木することもあり維持にも苦労していますが,よい環境をもたらしてくれております。

 

豊田:
 今回は岩崎社長に,オンリーワンの価値創造を通じて“グローバルナンバーワンを目指す”ことを目的としている経営の神髄をお聞かせ頂きたく存じますので,よろしくお願い申し上げます。

 

豊田:
 御社は創業から80年以上の歴史を持つ企業であり,社長としては四代目ですが,まずは,企業の沿革をお伺いしながら,時々のエポックや企業理念についてお伺いできればと考えております。
 御社は御祖父様が起業された商店からとうかがっておりますが。

 

社長:
 そうです,私の祖父が1934年(昭和9年)に,天王寺区の空堀に岩崎商店を創業し,ものづくりが始まりました。当時は,セルロイド板を形に切り,曲げ加工やバフでの磨きをして,靴べらや手鏡の柄,あるいはブローチや文具などの小間物雑貨を作ってパッケージして,大阪の久宝寺界隈で販売しておりました。

 

豊田:
 セルロイドという懐かしい言葉を聞かせていただきました。昔はセルロイドのオモチャなどがありましたが,私の生まれた地の八尾は歯ブラシの産地で,私の実家も歯ブラシに植える毛(主にぶたの毛)を揃える仕事を家内工業としておりましたが,その毛を植える歯ブラシの柄はセルロイドであったことを思い出しました。金型にセルロイドの棒を入れて,数十度の湯の中で押しつけて形にする工場も,実家の隣にあって,小学時代はその形ができて行く作業を眺めていました。懐かしい言葉を聞かせていただきました。
 当時からものづくりに力を入れられたということですね。

 

社長:
 弊社もセルロイドと共に植毛技術も取り入れており,私が子供の頃には,イギリスの植毛の技術者が一月ほど自宅に滞在していた記憶があります。
 当時はプラスチックもありませんし,セルロイドの匂い,いえばピンポン球の匂いが充満していて嫌なにおいだったと父親が言っていました。
 創業時からの大きな特徴は,当時から「最終製品」というお客様に直結する製品を扱っていたことです。この消費者に近いところへのこだわりが,デザインや造り方などの改革が直接お客様につながるという点での,今なお活きる我が社の強みと考えています。

 

豊田:
 現在も大きく注目されているデザイン志向ともいえるものづくりを上流に繋げるということでしょうね。

 

プラスチック成形の始まりとプレミアム商品からの脱却:流通小売りとの付き合い

 

社長:
 そして1957年(昭和32年)頃に花園に移り,岩崎工業株式会社を設立しました。成長と共に大きな場所を求めたことと,政策として八尾・東大阪の歯ブラシ産業を育成ししようという方針もあって,東大阪の方に移ってきたようです。その後やはり狭くなってきたということで,1967年に大和郡山市の方に工場用地を取得しました。

 花園で会社を設立した年は私が生まれた年ではあるのですが,その当時,米国から「プラスチック」というものが入ってきて,熱すると溶けて,それを型に流し込み冷却すると製品ができあがる訳で,こんな便利なものはないということで,それをいち早く導入しようということになりました。
 そこで,縦型の射出成形機を導入し,それと金型を用いた生産形態へ転換することになりました。
 これが我が社の柱である「プラスチック成形」の始まりだったわけです。

 

社長:
 私が小学生時代だった当時のプレミアムギフト商法,例えば,花王さんのエメロンシャンプーのようにシャンプーを買えば櫛とブラシがついてきますというようなものや,松下電器さんの「くらしの泉会」では購買額に応じて景品がつくような商法が取られており,そのギフトを作ることなどを行っていました。
 このような時期に大和郡山へ移ることになったのは,24時間稼働で商品がかさばることでの敷地が狭くなったことと,大きなトラックが入ってくることができないなどの輸送の利便性などからでした。その土地は,そのあたりで最後の土地ともいうべきで,周りは大きな企業や大阪から来られた企業で埋まっていた状態で,取得できたことは幸いでした。それが今の本社工場になっています。

 

社長:
 その当時は,景品のようなプレミアムグッズばかりを作っていて,例えば,毎年11月頃にある大丸でのガス展の景品の製造も担っておりましたが,このような製品は,値段競争が激しく,また,製造の波が激しく,忙しいときは忙しいが,暇なときは注文が無いという状況でした。
 このようなことだけをしていたのではダメだということで,当時社長をしていた父親が,そろそろこのようなことを止めて,定価格商品というものをやってみようではないかと言い出しました。このような商品は,まさにダイエー,ヨーカドー,西友,ニチイ,ジャスコの5大流通小売り業者などに育てられ,世話になってきたものであり,この人たちが発展すれば我々が発展するということが流れです。今でもこのようなお客様を大事に考えて商売させて頂いているわけです。

 

社長:
 今でもこの流れは変わらず,セブン・アンド・アイさんは一番のお付き合いで,ニトリさんとのお付き合いも非常に多くなっています。ビジネスモデルとしては珍しいもので,「西で造って東で売る」の形となっています。東京地区の売り上げは55%程度になっています。この傾向のため,物流経費がかさみ,当社では7%程度かかっています。その意味では,大変希有な事業形態ともいえますが,それに打ち勝ってこそとの想いです。

 

ブランド化で差別化へ:「ラストロウェアブランド」導入と特長ある商品開発を

 

豊田:
 そのような流通小売りを相手にされるとき,お作りになる商品は,小売業者からの注文ですか,それとも御社の提案なのでしょうか。

 

社長:
 そうですね,ケースバイケースではあるのですが,当時は,やはりお客さんに「こんなもの造って」と言われてのケースが多かったのですが,そんなことではとの想いがありました。その点に着目し,差別化をキイワードに,「ブランド志向」に行きたいと考えました。

 

豊田:
 そこが御社の経営の転換の大きなポイントであったのですね。

 

社長:
 それはなぜかというと,1964年に東京オリンピックがあり,やはり国際化の流れの中で,日本の生活様式も西洋化していき,例えば,コカコーラ,バヤリース,デルモンテなど横文字文化が大量に入ってきました。そうだ,これだと気がつき,家庭用品にブランドをつけようと考えたのです。
 ピエールカルダンのポーチなど装飾品も元々自社でおこなっていたのですが,このような時代の流れである「西洋指向,差別化,あこがれ」のマッチングでブランド戦略を目指したわけです。
 このような状況の中で「ラストロウエア」(「ラストロ」とは「光り輝くという意味」で,ウエアは「容器」で,光り輝く容器)というブランドに注目しました。この「ラストロウエア」というブランドは,元々は米国のアイスクリームでおなじみのレデイーボーデン社のオハイオにあったオハイオプラスチックという家庭用品部門が持っていたブランドで,岩崎忠商事がそのブランドを買い上げて,東南アジアなどでのライセンスを持っていました。当社もブランドを求めて,岩崎忠さんに,何か海外に良いブランドがありませんかと聞いた折りに紹介があり,1968年に,それを我が社の製品について展開し販売を始めました。
 このブランドをつけることが,品質の証であり,ロイヤルカスタマーの満足度向上につながる訳で,この路線でいこうとしました。そうすれば,お客様から「ラストロ」さんと呼ばれるようにもなってきました。

 

豊田:
 ブランド名をつけることは分かりました。そのブランド化が次のどのような展開につながっていったのでしょうか。

 

社長:
 そうなると,次はナンバーワン企業の積水化学さん(ブランドマークは「テントウムシ」ですが)を追いかけよう,「ラストロ」ブランドを確たるものにしようとの想いが浸透してきまし,ブランドの意味する西洋文化へのあこがれをもとに製品開発を進めようとなりました。本社には,当時からのカタログを全てファイリングしてあり,かなりの厚さになっていますが,見てみると開発の方向は完全にアメリカナイズされているとも感じます。東京オリンピックを境にして,我が国の生活様式が大きく変化する時代に併せて,我が社の商品開発も大きな変化の波を迎えました。

 

豊田:
 そのブランド名の導入の影響はどのようにところに及んでいますか。例えば,製品群への影響,あるいは造り方などへの影響など。

 

社長:
 ブランド化以降は,特に品質管理にも力を入れて展開したことも事実ですが,造り方や造ったものの持つ機能・性能への展開も大きなものでしょう。
 例えば,後ほどショウルームで見ていただきたいと思っていますが,象さんが踏みつけても壊れないゴミ箱など,ブランドの価値を高める商品開発も生まれました。業界では商品の3年間保証をしているのですが,このような性能が評価され,ニトリさんでもよく売れております。
 当時は,このようなものを造るにも,プラスチックの原料が我が国には無かったものですから,このような樹脂の輸入も岩崎忠さん経由でおこなっており,特徴のある商品を開発へとつなげていっております。この当時,ブランド化を進めたいということは,特長ある商品を提供することでの差別化を目指すことで,今もこの流れはかなり強く流れており,オンリーワンを謳っているわけです。

 

豊田:
 このように単なるブランドの名前をつけることがブランド化で無く,特長ある商品開発や,ブランド名に値する商品価値をつけることでの差別化につなげていくことが「真のブランド化」ということなのですね。

 

商品開発力と品質の管理の重要性の認識へ

 

社長:
 この三重プラントの開設の前の1980年台の後半には,ラストロウエア・ブランドの卓上シリーズ「レッツ」が爆発的に売れるようになっていました。ちょうど私が商品開発の担当常務でした。「岩崎」の名前は知らなくも,この商品は知っていると言ってくれる人が多かったのはうれしかったですね。
 写真にもありますが,卓上の醤油差しは反響が大きかったのです。

 

豊田:
 この前の新鋭経営会での講演の際にお持ちいただいたとき,私はこの醤油差し(実は,いくつかの商品の内,人気が高くて,これしかしか残っていなかったのですが)を頂いて帰りました。

 

社長:
 この商品開発では,醤油差しなどの卓上商品の底にゴムをつけて滑り止めをつけましたが,やはり安定性のある商品群であり,醤油を差した折の切れがよくて,液がつたうことがないことが評価され,更にかなりシンプルな形が受けています。この商品を出して30年なのですが,その後,弊社からは二つほど醤油差しのシリーズを出しましたが,これには勝てないのです。
 やはり,最初の開発商品の基本アイデアに大きな価値があるようです。

 

社長:
 我が社のような経営では,爆発的なヒット商品も欲しいのですが,やはりロングセラー商品で,長い間ご愛顧いただくことはありがたいことです。
 この商品はコピーものが8カ国ぐらいで出回っていて,見た目が同じものが,百円ショップにも並んでいるようです。
 
 

社長:
 最近は丸亀製麺さんや回転寿司やラーメンのチェーン店などにも業務用として採用していただいています。

 

豊田:
 このような自社開発商品が生まれることは重要ですが,その開発は自社の開発部隊が担っておられるのでしょうか。また,どのような陣容で進められていますか。

 

社長:
 開発部隊は,本社に4名の要員がいます,それ以外に技術部門が本社に3名,それに品質管理部門がそれぞれに配置されており,総合力として開発に取り組んでいます。工場を見ていただくと分かるのですが,例えば品質管理要員は赤色の帽子をかぶっています。技術班は紺色の帽子を,作業者は白の帽子としています。
 これは三菱重工さんが弊社に品質管理の指導に来られるときは,赤色の帽子をかぶってこられますが,これだということで色によって職種を分けることを採用させていただきました。

 

突然の社長承継の経緯と大リストラのもたらしたもの

 

社長:
 1980年台の後半になって,おかげさまで商品の販売量が伸びて,本社工場も手狭になってきたので,そろそろどこか他の地にと考えるようになりました。そして,初めにも述べましたが,
1993年(平成5年)に,ここ三重・松阪に敷地面積33,700平方メートルの新工場を竣工しました。現在我々がいる建物もその当時のもので,25年目になります。

 

社長:
 その後1999年(平成11年)に,当時父親の弟にあたる叔父から社長業を引き継ぐことになります。
 社業を引き継ぐ前には,大規模に工場を増設し,積極的に工場稼働を高める拡大路線を取っていたのですが,1997年に当時の四大証券会社のひとつであった「山一證券」が破たんするという事件が起こりました。その影響で,その後の2年間で,売り上げで25億円を失い,年間5億円の赤字を出すような事態になり,大株主から社長を替えるべきとの声が出てきました。私は当時41歳で,「なんだこれは」という感じで,自分の人生計画とはかなりの違いがあったのですが,急遽社長をやれということになりました。

 

社長:
 このような時期に社長になった訳ですから,社長になって行ったことは,大リストラでした。当時ベテランで当社を支えてきたといえる従業員26名を面接して辞めていただくことをお願いするなど,どん底の時期の承継だったのです。

 

社長:
 その承継前は,実は,我が社は公開予定会社でして,株は445万株で,株主の数が57社,個人と会社の割合も半々なのですが,大手の株主への第3社割当増資もとっくに終わっていていました。とにかく松阪の三重工場が竣工する前は,売り上げは57億で,我が社が一番に儲かっていた時期でしたので,イケイケで買ってしまったのです。買った後での問題は,償却問題でした。新設に27億円ぐらいかけており,いくら何でもかけ過ぎでした。当然,当時はいけると思ったのでしょうが。

 一番の売り上げだったのが平成9年3月の決算で,66億の売り上げで6億ぐらいの利益でした。ところが,翌年度に山一・拓銀事件があり,15億の売り上げ減,次の年には更に10億円減と,このとき一気に日本経済がシュリンクした影響で,三重工場の投資も凍結ということになりました。
 このような事情で,急遽社長交代となったのですが,一番にしんどかったのは資金繰りであり,もう一つは,長年この会社の創業当初からで,私の幼少時代から知っている人々を切らなければならなかったことです。彼らとの話は,社内では目立つので,大阪営業所に土日に呼び出して,一人一人話をしました。勿論納得していただける方もおられましたし,なぜ俺がと感じられた方などおられました。

 

豊田:
 そういえば,我々の大学の同級生で,造船不況などの折りに,ちょうど中間管理職でリストラを任されて,血のにじむ苦労をした話を聴きましたが,あの時代の大きな変化の時に,今ほどにドライで無い時代のリストラには苦労されたことと感じます。

 

社長:
 ただ,苦労はしましたが,よかったと思えることは,従業員が一気に若返りました。営業はお客さんとのお付き合いが勝負ですが,製造というのは自分との勝負ですから,時代が,ちょうどデジタルに変わるときで,若返りの時期あったのかなと,今になって思っています。このように,社の方向性の大きな変化の契機になったともいえるかも知れません。
 それまでのマネージメントにも問題が見えてきました。職能が重視されて徒弟制度のような中でやってきたので,技術伝承も難しかったともいえます。この変化で,モチベーションとか,モラルとかやものの考え方など,良い意味で一皮二皮むけたというメリットもあったのではと。

 

社是“I Will”でオンリーワン企業へ

 

豊田:
 そこで,“I Will”の社是となるわけですか。

 

社長:
 そうですね。

 

豊田:
 これは是非聴きたいところであり,どのように生まれて,どのような意図なのかを是非伺いたく。

 

社長:
 社長になるまで我が社には社是が無かったのです。我々の先輩は,食べることが第一で,そんな必要も感じなかったのでしょう。
 社長になって岩崎ルネッサンスが始まるのですが,まず,社是をつくろうとなって,営業各部門から人を集めて,4回ぐらい合宿して議論しました。我が社の基本,会社の強みと弱み,などいろいろと話し合い,最終的には“I Will”となったのです。英語でということになったのは,海外に行っても簡単に理解してもらえる簡単な言葉ということで選んだのです。いろいろ議論して出てきた答えが,当初は“We Will”だったのですが,ある女性の社員が,「社長,Weでは弱い,強い個人を表すためにも I でなければ」といったので,そうだということで“I Will”としました。「I」は,岩崎のI,一人称のI,そしてインターナショナルのIで,これらを網羅していて,そしてwillという意思を持って何事にも前向きに進もうということにしました。
 そうです,意思あるところに行動ありですから。I Willも社員に浸透しており,「社長,これだけの予算を下さい。I Willですから」といってくるものもおり,それとこれは別だと(笑)。このように使われていることからの浸透しているかと。

 

(参考):岩崎社長が唱える経営理念
1.無関心さ、無責任さを徹底的に排除し、自主的に考え行動することによって自己変革を常に行い、健全経営を実践する企業の一員となる。
2.相乗効果を生み出すための協調性をもって時代変化を的確に捉えた経営資源の集中・活用・拡大を行う。
3.強い個人の強い協調に基づく最小最適資源の調達と運用にチャレンジし、企業総合力の向上を推進する。
4.企業価値の高揚により、顧客に対する満足のいくサービスと新しいライフスタイルを提供し株主・社会への還元と地球環境保護をすすめ、企業の永続的発展を目指す。

 

買収への対処に米国から帰国

 

社長:
 我が社はものづくりに力を注ぎ,新しい挑戦を進めてきましたが,実は,平成6年に,当時,世界最大のプラスチック日用品メーカー「ラバーメイド」社が日本でものづくりをしたいということで我が社にM&Aの提示をしてきました。
 まずは,そこに至るまでの話をしますと,実は,私は大学を出て総合商社の化学品合成樹脂本部で働いていて,ニューヨークで2年10ヶ月の間駐在員をしていました。911で爆破された世界貿易センタービルに入っていたトーメンに勤めていたのです。その中で化学合成樹脂本部の汎用樹脂の三国間貿易を任されました。行ったときには販売額はゼロでしたが,帰るときには月商7億円まで育てていました。
 そんなときに,父親が米国の企業と提携するので帰ってこいと,2回呼びに来ました。1回目は,こんな楽しいことが無いというので断ったのですが,2回目には仕方が無いので,上司に相談しました。そこで,「すぐに帰ってもらっては困る,中小企業に帰ってどうするのだ,苦労するで」と言われたのですが,岩崎家の跡取りでもあり,ということを言って3ヶ月後に帰らせていただきました。

 

社長:
 帰ってきて,父親から米国のラバーメイド社と提携の話が進んでいたようですが,父親は,帰ってきて,会社でただ一つの仕事をしてくれといわれ,それは「商品開発」で,販売など考えずただただ開発に専念すればよいとのことでした。
 そして,ラバーメイド社とライセンス契約をして10年間続けました。契約をした直後からどんどん売り上げが上がって行きました。ラストロウエアとラバーメイドの二つのブランドを採用していたのですが,やはりラストロウエアは25年の歴史もあって,ラバーメイドの方はそれにはかなわず,売上額で10倍ほども差ができました。そこで,ラバーメイド社はいらだってきて,ラバーメイド社の方から岩崎工業を買いたいという話が出てきました。売り上げがそれほど大きくは無いのになぜ買いたいのかと聞くと,岩崎の商品開発力や金型技術が欲しいとのことでした。更に,戦略としてはアジア地域の拠点として活用したいとのことだったのです。
 そこで,岩崎の野村證券,ラバーメイドのゴールドマンサックスとで話し合いが進み,半年ぐらいやりとりをしましたが,結局当社としては,ライセンスは無くともよいので断ることになりました。当時は,日本の各分野の技術もかなり進んでいて,米国から学ぶことも少なかったのも事実です。小が大に要らないと言うという構造で,向こうはなぜだとも思ったことでしょうね。

 

社長:
 当時の社長は断る理由に,「俺は英語が分からないので,役員会を英語でとなったら困る」という冗談のような話でした。もっと奥深い話なのですが,このような条件で,おまえが米国に行って断ってこいということになりました。
 ラバーメイド社としては,我が国での製造・販売はそのままでよい,役員も替えないなどの条件で,株を51%くれたら良いので,岩崎家にとっての好条件なのに,なぜ受けないのだというようなことでした。結局断ったのですが,その後ラバーメイド社は米国で無くなってしまいます。別会社になってしまっていて,当時の役員は全て変わってしまっています。ブランドは残っていますが,会社は消滅しています。
 良いか悪いかの判断は難しいかも知れませんが,このような会社のマネージメントには紆余曲折があるということでしょうね。

 

ブランド提携の売買攻防と海外戦略へのブランドの活用

 

豊田:
 このような状況の中で四代目の社長に就任され,“I Will”の社是も決定され,そこで御社の立て直しと事業の拡大へと進まれるのですね。そのあたりのマネージメントの工夫などについてお聞かせ下さい。

 

社長:
 先ずは財務状況の改善に努め,リストラなどに伴う大きな退職金などの処理も終わりましたし,三重プラントの設備の凍結の傍ら,製造業の当時の宿命であった海外への展開ということで,中国の上海に2000年に生産を始めました。

 

豊田:
 どのような製品を作られたのですか。今も中国では生産を。

 

社長:
 主に弁当箱のような容器で,金型と原料を持ち込んで,現地の労務費で展開しました。かなりの生産量を誇りましたが,今は1/10程度に落ち,今はがた減りの状態です。その後ベトナムなども展開しました。必ずしも海外生産でなければならないということでも無いともいえます。

 

社長:
 大事なことは,生産場所の問題というよりは,製品開発に力を注ぎ,コストが高くとも価値の高い製品の開発を進めました。我々は最終製品を作っていますから,価格というよりは,売れればすぐにつくって店頭に並べることが求められ,売れなければすぐに撤退するなどの,市場連動型のものづくりをしていかなければならないのです。
 そこではQCDが重要で,特にデリバリーは重要で,販売先のお客様には棚を確保していただいていますので,欠品があればすぐに埋めることが求められています。したがって納期重視で,コストが高いからといってお客様から呼び出されてことは一度もありません。
 この状況を考慮した生産の場所やあり方が求められているのが我が社の商品といえます。納期通りに収めるというお客様の要求に応えることで互いの信頼関係を築くことが最重要なのです。

 

豊田:
 御社の商品のような場合,コスト重視よりは,売れるかどうかが一番ポイントであり,そして売れれば着実に納品される体制が求められているということでしょうね。そこで大切なことは,商品価値を生み出すブランドなのでしょうか。

 

社長:
 ブランドについては,2003年が岩崎工業にとっての大きな転換期となります。
 「ラストロウエア」ブランドを1968年に得て,ずっと販売を続けてきましたが,当時父親が病気で床に伏せたときに,「毎年3,000〜5,000万円のロイヤリティを伊藤忠に払い続けてきたけど,20年となると10億円にもなる。これは無いなー。買いに行ってこい。」といい出しました。そこで,伊藤忠に買いに行くのですが,伊藤忠にとっては,ロイヤリティは入るは,原料は買ってもらえるはで,岩崎が伸びれば伸びるだけ,むちゃくちゃ儲かる訳で,こんな得なことは無いわけです。
 あんなこんなで,先方の担当部長と交渉し,「ラストロウエアのブランドは,どこが持っていたら一番良いのか,当然造って販売している企業でしょう。岩崎工業が持つのが本当の姿では無いでしょうか。」と話をし,そうだなということになったのですが,売ることは認めたのですが,売るとなると,先方はとてつもない金額を要求してきました。
 「これは困ったなー。」と下がりつつ,でも売ってくれるということなので,後はお金の問題ということで,大きな金額は残りましたが,売る意思ありの話が蒸しかえらないうちに買っておこうと。ただ,一括では払えないので,最終的には分割払いで,大枚のお金を払って自社ブランドにしました。
 これは岩崎工業として,伊藤忠の呪縛から逃れ,自らのブランドを持ったことで大きな転換期ともいえます。そうしますと,自主独立して,伊藤忠のライバルである三菱商事などともお付き合いできますし,現在は両社に162,000株づつと同数の株数を持って頂いています。このように自社のブランドとしたことによって,現在は三菱商事からもいろいろなサポートを受けていまし,両社さんとうまく付き合わせて頂いております。

 

豊田:
 ブランドを買い取られたことで何が変わりましたか。

 

社長:
 自分のものとすることで,ブランドに更に磨きがかけられます。このときは,伊藤忠の持っている海外のライセンスも同時に買いました。そして,東南アジアの国々で商標登録もとり,世界にでていくときには,ラストロウエア・ブランドは全て自分のものとして販売できることになりました。
 同時に知財関係も各国で獲得することで進めております。2017年度版の特許庁の雑誌に,海外特許申請について全国で代表7社に挙げて頂いております。

 

豊田:
 ライセンスは主要な東南アジア地域でお持ちなのですね。

 

社長:
 そうです,一気に取得しました。海外ライセンスの買い取りの時に,特に嫌がったのは,中国と香港で,実はそこで第二の岩崎工業をつくりたかったようですが,一緒でしょうということで全地域に対して取得しました。

 

社長:
 実は,その前に米国でのライセンスも問題も解決し,一機にやろうということで,現在主要なお客様の国にラストロウエア・ブランドのライセンスで輸出しております。

 

豊田:
 さすが商社上がりの社長ですね。

 

海外との繋がりがもたらした新しい製品開発:食器洗い機で縮まないプラスチック容器開発へ

 

社長:
 本当は商社を使わなければならないのかも知れませんが,商社にいたので,商社の良いところも悪いところも全て分かっていますので・・・。いまは,全て直接取引にしています。
 海外販売も,このところ新しい分野が出てきておりまして,輸出構成品が14,5%ですが,2020年には20%に持って行くことを目標としています。

 

豊田:
 このように,海外への販売を増やされる一番の目的は何でしょうか。

 

社長:
 一番の問題は,価格問題で,我が国の価格競争の激しさが一つの原因で,もう一つは人件費問題です。海外品は販売費用が少なくて済み,国内よりも粗利率が高くなっています。

 

豊田:
 先ほど製品開発は全て日本で行うと話されましたが,海外販売を増やされたことで,海外からの製品開発への影響も何かありますか。

 

社長:
 それはあります。米国のハイエンドのお客様で,あるときそこの女性のバイヤーが,「世界中のプラスチック容器を食器洗い機に入れると,蓋が縮んでしまうので,縮まないタッパーはできないのか」と言ってきたのです。アメリカ人はみんな困っているので,あなたは縮まないふたは造れませんか,と。できないとは言わないが,大変難しい,と言いました。

 

社長:
 その後開発を始めまして,最終製品にするまで4年間かかりました。食洗機内部では100度の煮えたぎっているお湯にさらされているわけで,それでも縮まないこと,それで米国市場を席巻できます。
 もう一つの開発要素は,硝子のような質に仕上げることでした。開発商品は,家庭用品容器では初めての2011年にグッドデザイン賞を頂いています。

 

豊田:
 この商品開発の一番のポイントはどこにありますか。材料ですか,造り形の工夫ですか。

 

社長:
 材料は勿論大切です。本体の素材は特殊樹脂でして,岩崎工業では初めて使ったのですが,飽和性のポリエステルです。これはイーストマンが日本でマーケティングをしていまして,我が社に来て,保存容器にこの素材が使えるかといってきました。判断としては,この樹脂でいけると考えたわけです。
 これまでの樹脂はポリプロピレンが主流で,乳白色でしたが,生活様式が変わることなどを考えると,容器の透明性は求められる要素でして,透明化の流れが全世界でありました。そこに乗ったことが一つで,もう一つは,食品容器は清潔感が重要で,我が社も大切にしている考え方で,透明性のこの樹脂を使おうとなったのです。

 

Product Policy:四つの Policy の実現が常に新しいものを生み出す

 

社長:
 話は違いますが,我が社では清潔感を大切にしており,今回,新鋭経営会で話を伺った興研さんのクリーンルームも導入しているのですが。これによって,東レさんのポット型の浄水器のトレビーノの容器もゴミが入らないクリーンルームを活用して,担うことになりました。トレビーノについては,東レさんは5種類の容器があり,4種類まで当社で造っていて,残りの一つは中国製でしたが,どうも品質に問題があり,結局我が社で全部を供給させて頂くことになりました。
清潔感の勝利でしょうか。

 

豊田:
 このような新しい製品,技術の確立には,やはりしっかりした Policy が必要だと思うのですが,製品開発にどのような Policy をお持ちですか。

 

社長:
 我が社では,製品開発に,四つのNew,すなわち,
  NEW MATRERIAL
  NEW FUCTION
  NEW DESIGN
  NEW METHOD

を考え,これらを満足する形で,「Always New」を目指します。
 その実例が先ほど述べました「マイクロクリア」という食洗機で使える透明保存容器です。
 ここでは,
 ・NEW MATRERIAL;ポリエチレンとポリプロピレンのメリットを組み合わせた新素材の開発に成功
 ・NEW FUCTION:ポリエチレンのメリットである柔軟性を維持しつつ,耐熱性と透明性を蓋に付与
 ・NEW DESIGN:高いデザイン性の実現(グッドデザイン賞の受賞につながる)
 ・NEW METHOD:従来にはない特殊な方法を施し耐熱性を維持
によって,求められる製品として具現化できたのです。この開発活動が認められて,経済産業省近畿経済産業局の「関西ものづくり新撰 2015」も頂けました。

 

社長:
 成形に関しても,三重プラントでは,成形機は4台から始まったのですが,今や33台入っています。勿論,単に工作機械を増やしたと言うだけで無く,いろいろな工夫を凝らしてのことですが。
 成形については,岩崎工業は今まで射出成形しか使ってこなかったのですが,冷水筒に対しての,「洗浄のために底まで手が入れられる,熱湯にも使える,使用時の操作性の向上など」の皆様からの要求に応えるため,耐熱樹脂を使用して,ブローで成形しようということにしました。
 水筒は300万本作っていまして,ラインナップだけでも相当な数です。始まりは,12年ほど前で,お弁当箱に行くか水に行くかの議論をして水筒に行くことにし,大きい市場に育ってくれました。それも,商品開発の幅を広げていく段階で,射出成形から,風船を膨らませるようなブロー法にいこうとなりました。

 

社長:
 当時中国でブローの商品を作りましたが,不良品のオンパレードでビジネスになってなかったのです。
 一番大事なのは空気管理で,また,静電気が大きな問題でした。インジェクション・ブローでは2ステージで行うので,インジェクションした半製品を次の工程でブローするので,2回熱が当たるのです。
 手動ブロー法では,半製品で24時間置いておくことが必要なのですが,その間に静電気がついてしまうので難しいのです。奈良の本社にもって帰ってやっても全然ダメで,2割の不良率レベルでした。そこで,米国で仕入れた情報で,我が国のトップのブローメーカーに相談しましたが,ペットボトルばかりやっているメーカーで,堅い素材で容量も大きく,とにかく口が大きな我々のものは難しいものでした。でも諦めずにチャレンジをして,苦労しましたが,2台目まで入れて一気に市場を取りに行くことで成功しました。今は3台目が入っています。
 このような成功は,何とか求められる要求仕様を満足することに,諦めない挑戦意欲を持ち続けることでしょうか。

 

社長:
 このような努力で,岩崎工業の技術が,射出成形に加えてプロジェクション・ブローが加わり,技術の幅の拡がりがでました。
 この技術の拡がりが,岩崎工業の業績の拡大につながってきました。保存容器と比べて,この種の製品は,原価が同じなのに単価が高いので業績に影響するところです。これも製造部での大きな努力の結果でもあるのです。今も他社に無い製品をどんどん生産しています。
 

 

社長:
 この製品も,熱湯を入れることができ,しかも透明の材質と言うことで,旭化成さんと共同で素材開発を進めました。最初は全くダメで,黄色が残って焼けていましたが,1年あまりの開発努力で,成功すると一気に市場を抑えるまでになりました。ここでも先の述べた四つの Policy の1番目の New Material の精神を活かしたものです。

 

豊田:
 このような共同開発の成果,新しい材料開発が生まれることは,いろいろな波及的な効果ももたらすのでしょうね。

 

社長:
 そうです多様な拡がりを持つことと,共同開発相手にも販路拡大などのメリットが生まれ,win・win の関係となることを狙っています。

 

社長:
 我が社で後残っている技術課題としては,押し出し成形技術でしょうか。これが完成すれば,プラスチックの成形技術の代表的なものを持つことができるといえます。

 

お叱りというラブレターの分析から始まる商品開発:Product Policy を活かす

 

豊田:
 御社の主製品である容器類では押し出し技術を使うことはほとんど無いのでしょうね。
 今後の製品開発においてどのような新しい技術が求められていますか。新しい「もの」を製造するということは,ニーズが先ずあって,新しいニーズを実現するためには新しい材料の探索・開発が必要で,材料が新しければ加工も難しくなり,加工技術開発が求められるなどの流れが重要なのでしょうね。
 このような流れからみて,岩崎工業(株)の商品開発のポリシーをお教えいただけますか。

 

社長:
 我が社の「Product Policy」として,次の四つのプロセスが基本です。

 


【不平・不満の分析】 Marketting & Research

【あるべき仕様の設計(構想・検討)】 Consideration for Always New (前出の「四つのNew」)

【あるべき仕様の実現(製品としての具現化)】 Creative absolute Standard

【不平・不満の解消】 Solution for Satisfaction & Dream

 

先ずは,どこに求められるニーズがあるかの「不平・不満」の収集・分析にあります。

 

豊田:
 このニーズ情報は,誰が,どのように集められ,その情報をどのように共有されているのですか。

 

社長:
 そうですね,このニーズ,すなわちこうあって欲しい,ここが不満であるなどの情報の収集を弊社のマーケティングが,私も含めて徹底して行っています。ここがビジネスの5割だともいえます。
 情報の収集は営業だけでなく,開発や企画の担当者も含め全員で行っています。特に,お客様や消費者の皆様と接するだけで無く,最近は,ネットにお客様の相談窓口を設けていて,大きな役割を果たしています。窓口には,勿論お叱りの言葉もありますが,こんな商品のここをこう変えてくれればとかのご意見を沢山頂いており,そこをヒントにさせて頂いております。
 ある社長様がおっしゃっていたのですが,「お叱りは,お客様からのラブレター」であると。まさに,我々はそれを活かそうとしているのです。

 

豊田:
 ものづくり大賞などの審査をしていて感じるのですが,多様な情報をどのように活かすかが問われていて,意外と重要な情報が遊んでいることもあるようで,消費者などから直接得られる情報を,社長を含めてうまく共有されているところが強みを発揮されているようですね。

 

社長:
 その次にいかにお客様の要望に応えるためにはどのような材料を開発するかが問われます。
 例えば,マイクロクリアの開発で,ポリプロピレンに行き着くまで3年ほどの時間を要しています。この硬いポリプロピレンをどう加工するのか,柔らかくしたら濁ってしまうなどと,課題の解決は連立方程式を解くようなものでした。それをどんどん突き詰め,諦めないことが大切でした。

 

社長:
 開発にとって,お客様の声を聞くことは,かなりしんどいことなのです。これまでできなかったことの解決ですから,難しいのは当たり前ですが。

 

豊田:
 要は,難しさから逃げるので無く,聞く耳を持つことが大事なのでしょう。
 また,ニーズが把握できてから,次の「あるべき仕様」の設計に行き着くところが難しいのでしょうね。

 

社長:
 そこから四つのポリシーによる「Always New」に行きつけることが,最大の課題となります。
 形ができても,例えば,食品容器では食品衛生法などの規制や業者が定めている自主基準など従わなければならないなど,販売までにはいろいろな条件があり,まだまだ解決しなければならない問題があります。ここではいかに安全・安心を保証するかが問われています。
 商品開発には,先にお話しした四つのポリシーに従って,素材を求め,それによってどのような新しい機能を出せるか,そして採取製品ですから受け入れられるデザインが重要で,そして,最近一番苦労するのが,四番目のどのようにして造るかということに工夫が求められます。

 

社長:
 この場合,我々の今まで知らなかった業者さんにヒントをもらうこと,また共に開発することなどが求められます。

 加工機そのもののは販売業者から購入しますが,我々は最終製品を作っていますので,一品一様で,そのあたりの工夫が大きなキィとなります。そこでオンリーワンの加工機を生み出すのです。それが差別化を生むことになり,我が社の技術力でもあるのです。
 この種の加工機が,平均的に,年間1,2台生まれてきています。

 

工夫が活きるために;人財が重要

 

豊田:
 このような開発の工夫は,現場の作業者からの提案ですか。

 

社長:
 そうですね,現場からの声を設計に上げていくことが多いですね。特に,金型のようなものも大事なのですが,ものが移動するわけで,この動かし方は重要です。こんなことも一品一様でこなせる総合的な技術力が強みだと考えております。

 

豊田:
 そのような意味では,人財がキィとなるように感じますが。
 人財については,能力の持った人を「得る」ことと,能力を「育てる」ことがあろうかと思いますが,特に育つには,その環境が求められ,うまく人材を配置されているように感じますが。

 

社長:
 少しありがたすぎる言葉を頂いていますが,現場にも二つありまして,一つは,技術集団的にパイオニアでやっていくものと,実際の製造フローの中で改善をやっていくもの達がいます。二つの流れはあるのですが,その繋がりが大切です。
 ここ5年ほどですが,社長方針として,社長として言い続けていることがありまして,我が国のプラスチック成型メーカーが生き残るためには,「成型同時組立」を実現することであろうと考えています。前の工程のショット中で,次工程がどれだけできて易くするかがカギで,そのためにも先ほどの繋がりが求められているといえます。
 これらがどれだけできるかが,我々の業界が,日本で生き残り,世界の中で勝っていけるか,もう一つ,こんなところまで一体でやっているのと思わせる製造が,大量生産のものでなされることだろうと考えています。

 

豊田:
 そのようなことができるのは単に人の集団だけではできませんね。何か工夫なり,うまく回るシステムを構築しておられるのでしょうか。

 

社長:
 商品開発から生産に入るとき,当然,これならこの程度のコストで作り上げなければならないと仕様に書き込まれているわけで,それを目指すなら次工程に加工などを持ち込むようなプロセスでは実現できないわけで,このような高い意識を全員が持って工法とシステムを決定させ,必要に応じて新たな投資なども認めていきます。常々,この意識を持たせるようにしています。
 先ほどの繋がりという点では,やはり現場への落とし込み段階で,設計から技術,それに現場作業者が関わってきますので,全員の関与が必然的に繋がりにつながってくるといえるでしょう。
 例えば,落とし込んだときに何が起こるかというと,スットクする場所がいる,移動作業が生じ,その人材がいる,更に移動によって不良品がでる,その場合には処理が必要になる,などの波及的影響が出てくるわけで,このような余分といえる作業を無くそうよ,ということになります。それなら横持ちをかけずに,そこで完成品にしようとうことになるのです。この見通しと,どこに自動化などの工夫を加えて,作業者の数の減少,不良が生じる原因の排除を図るかなどの,現場から技術・設計に携わる皆の「想い」が大切になるのです。
 そこで,このような現場サイドに落とし込んだ目線での投資を決断することが最重要になるのです。我が社では,毎月1回,現場作業者,技術部隊,品管部隊などが,定例のミーティングを行って,改善や新しいプロセスの可能性など検討しています。

 

豊田:
 このような行動は,関係者全員が参加することに意義があり,参加だけで無く,直接的な関係者となっていることが大切で,上からの指示のみではうまく回らないと言うことなのでしょうね。現場とのやりとりを本当にうまく進めておられると感じました。

 

社長:
 そうですね,それぞれが意識していることが重要で,例えば,現場に社長が言ったとき,このような課題があると聞いているのだが知っているかと聞くと,「聞いています,でもなかなか難しい問題で,今も鋭意努力しています。」との声が聞こえてくると,「ああ,話が通じているのだなあ。」と感じることができます。

 

社長:
 後ほど工場で機械を見ていただきますが,一つの機械に二つの画期的な商品がついていまして,これはオンリーワンの技術で,なかなかうまくゆかなかったのですが,諦めずに取り組んで成功につながってきました。要は「熱い想い」が大切なのです。

 

世の中に無いオンリーワン商品の開発が労働生産性を上げる

 

豊田:
 このような状況の中で,御社での「労働生産性」をかなり挙げておられるのですが,そのキィポイントはどこにありますか。

 

社長:
 それはね,原点・源流である「商品開発」ですね。新しいもの,そして,付加価値の高いものをやることで生産性が上がるのです。
 例えば,タッパーウェアや冷水筒は画期的なものといえます。密封性の高い4面ロックの保存容器の蓋は,パッキングが一体型になっています。従来のようにパッキンを外して洗ったりする必要が無い製品ですが,この一体化は異なる樹脂を同じ機械で2段階にて一体成形しているのです。これには,当初は苦労し,発売日が近づいても完成せず,現場は泣きながら工夫してくれまして,今や20万個も注文を受けているヒット商品となっています。このような付加価値の高い製品を開発することで労働生産性を挙げているのです。誰もなしえなかったもの,世の中にないものを作るのですから,苦労がありますが,労働生産性そのものは上がります。
 
 

社長:
 製品開発の目標は,かなり高いところにおいています。先にも示しましたが「Always New」が目指すところです。同業他社からすれば,こんなものをどうして思いつき,また,どのようにして造っているのだろうか,などの疑問を生み出すことこそ,我が社の狙いでもあり,知財を大切にしていくことを大切に考えています。

 

社長:
 商品開発に長らく携わってきましたが,商品のマーケットインが大切で,従来は量販店のこんなものが売れますよ的な情報を大事にしていましたが,今やそれでは遅く,消費者の声を活かし,消費者個人が望んでいることを形にすることが求められているのです。この点を我が社のマーケティング企画が大切にしております。

 

豊田:
 ただ,一番大事なのは,それができるということでしょうね。

 

経営の強みとそれを活かすこと,逆に弱みをどう克服する:優秀な人材確保への工夫も

 

豊田:
 岩崎工業の強みとして,既に,下記のような四つのポイントについてお話しいただきましたが,
————
1.De facto-standard の実現
【Product out → Market in → Custmer in】
2.「日々進化を続ける素材」のプラスチックが中心素材。
(成形機・周辺機器の発展もフォロー要因)。
3.海外販路開拓において、「直接かつ迅速」に動ける体制を。
(ネットビジネスも新しく大きな市場として)
4.「世の中に無い物」を1から作りあげるため、価格競争の渦に巻き込まれにくい。
————
逆に,弱み・課題はどこにあって,どのように克服していこうとしておられますか。

 

社長:
 弱みとして,置かれている状況や解決しなければならない課題は,次のようなものを考えています。
(a)新しい開発材料や「新規性・独創性」が常に求められる。
(b)投資/償却/売価(出荷商品単価)の「アンバランス」さがある。
(c)社員の世代交代、技術、デザイン、企画設計、マーケティングの伝承。これらは,商品改革などには常に配慮しなければならない要因と考えております。
 例えば,新規性・革新性・独創性は常に求められ追われているのですが,これが出てこない限りは,我が社の存在感は無いと思っています。

 

豊田:
 これらは,弱みと書いておられますが,これに対して対応しておられるということは強みにつながるポイントでもある訳ですね。

 

社長:
 常に新しいもの,差別化が図れるものが出てくるわけで無く,それが出てこないときは苦しいですね。「なんやこんなしょうもないものを出しているの」とは言われたくないですしね。そこがつらいところでもあります。

 

社長:
 それから(b)は,機械と金型がむちゃくちゃ高いのが特徴で,金型屋に奉公しているかのようで,金型屋さんを設けさせているのか,とも感じるのです。この投資/償却/売価(出荷商品単価)の三つのアンバランスは,常にリスクを背負っていることを意味します。本当に償却額が多いことは大きな弱みでもあります。

 

社長:
 それから(c)は,我が社のみで無く,ものづくりをしておられる企業にとっての大きな問題かと思います。マーケティングの伝承は死活問題です。

 

豊田:
 このような意味から,御社での現状の人材,あるいは人材を得るという意味では十分な状況でしょうか。

 

社長:
 いやいや,質的には十分だとは考えているのですが,人数的には問題も。どこで人が足らないかというと,マネージメントしていく部門では無く,やはり現場労働です。ブルーカラーに近い人々の確保が問題です。
 その意味で外国籍労働力についても,奈良県から実習・研修生制度で10数人の人材を得ています。このあたりも今後の動向に注意すべき課題かと考えております。
 この中でも,ベトナムから来ている研修生の中には優秀なものもいまして,この前も,研修期間のエクステンションの試験で,奈良県で唯一満点合格した人材もいます。このような素晴らしい人材をどのように継続雇用に結びつけるかが今後の課題でしょうね。
 外国人労働者を正社員のように登用することが,制度の改革と含めて,今後求められるでしょうね。このような人事モデル体制を造るべきであると言い続けています。

 

豊田:
 外国人と共に女性を含めたダイバーシティはどうでしょうか。今後の人材確保の観点からは重要な時点かと思いますが,いかがでしょうか。

 

社長:
 女性労働者に関しては決して多くないのですが,現場はこれからであろうと考えています。現在4人の品質管理技術者の内の一人は女性なのですががんばってくれており,我が社でも多能的な仕事が求められており,このような面で女性の視点が重要となるような新しい時代が来たとも感じています。

 

社長:
 人材については,我が国は優秀な人材が多く,改革をもたらしてきたなどと言うことは,ひょっとすると「先代の話」であって,今,これからは違うのかも知れないと。したがって,グローバルに優秀な人材を求め活躍できる環境を造っていくことが課題かも知れません。
 やはり現場力の充実とレベル向上は,ものづくりの企業の大きな課題でしょうね。

 

AIや多変数を活かした生産システム構築へ

 

豊田:
 さて,長らく多様な観点からのお話をお伺いし,どのようにまとめようかと悩みそうなほどですが,最後に,最近の世の中の大きな動きであり,我が国も Society 5.0などといい,AI,IoTを活用することが産業界にも求められておりますが,御社の状況はこの点についてどうでしょうか。

 

社長:
 なかなかよい質問を頂きました。我が社も,すばり,その動きを行っています。それは,ものづくり,設備などのハード系で無くて,「生産システムの大構築」を目指しています。2018年版を造ろうと。
 岩崎工業の生産計画は,販売計画,販売状況の現状から落とし込んできます。要は,この商品をどれだけ売るのか,どれだけ売れているのかの情報から生産計画を行います。現在は,各営業マンの売り上げ予算や見通しから個数に落とし込んで,生産現場で何個造るのかがキィワードなのです。
それを,今後造ろうとするシステムは,販売の変化,例えば,初め100個で進めていたのが,よく売れて150個となると,直ちに生産を増やさなければなりません。このようなことに対処できるシステムを目指しています。詳しくは述べられませんが,営業の状況,過去3ヶ月,前年同期比などの情報をミックスしてコンピューターに落とし込んできて,深層学習も組み合わせて,より100点に近いシステムを構築しようとしています。
 これによって,リードタイムの圧縮,在庫量の減少などの効果が期待でき,生産計画のフレキシビリティの確保のようなシステム構築に応用しようとしています。奈良県の中小企業団体中央会に提言しているのですが,システムですのでもう1枚,2枚,案をめくっておかないとダメだと考えてはおりますが,支援を求めております。
 ここでの基本は生産計画なのですが,キャッシュフロー,設備などの多因子を含む合理性のあるシステムの構築につなげて,多くの因子とその関係を考慮してAIを用いたシステムになることを狙っています。
 社員にこれを言うと,それは難しいですよと言うのですが,私は何も100点満点を望んでなく,今70点ものを75点,80点,85点のものへ挙げてくれれば良いのだと言っているのです。

 

豊田:
 そうですね,このようなシステムでは一般論,一般解的なものは構築がかなり難しいのですが,特定の問題に限定すれば,実現性が高いのでは無いかと思います。

 

社長:
 是非期待して下さい。

 

豊田:
 そろそろ最後の質問に移りたいと思いますが,岩崎工業の将来の形としてはどのような形を考えておられますか。

 

社長:
 そうですね,一つはどこで売っているかで,2020年には,海外で20%したいので,グローバルで,かつ各市場の特徴を踏まえた商品の開発をしていきたいことと,もう一つの展開は,医療,航空などの分野での展開です。既に興研さんのクリーンルーム装置も導入し,この分野での製品開発・生産を考えております。
 医療については,一つは,医療廃棄物の運搬用の容器は既に厚労省の認可も受けており,手術室から処理業者まで確実に,安全に運搬できる丈夫な容器を開発済みで,この種のニーズに対応したく考えております。手術室で先生方が扱いやすいものとすべく,新鋭経営会の委員会社にも協力いただいて進めております。
 航空については,三重県には宇宙・航空産業が集積しておりますが,そのメンバーをみてもプラスチック成形会社が一つもありません。ところが航空機の客室を見ていただくとよく分かりますが,インテリアの8割はプラスチックです。ところが,客室内を見てもどうも楽しみを感じさせるものはありません。我々の技術を用いれば,まだまだお客様の感性を刺激するものができると考えており,まだ,はっきりとは申し上げられませんが,客室のデザインをお任せ下さいの心意気でいます。

 

豊田:
 是非とも今後の展開に大きな期待を。
 それでは長時間になりましたが,岩崎工業の成り立ち,時系列的ないろいろなエポック,その中で生まれた企業理念とマネージメントの特徴や工夫,更には,岩崎工業の持つ大きな特徴と将来展開までお聞かせいただきました。
本日はどうもありがとうございました。

 



 

(インタビュー後記)
 三重の松阪の地は,鳥羽・伊勢に観光やリゾートで出かけるときの通り道で,また,本居宣長でも有名な歴史ある町でもあります。松阪牛の方が有名かも知れませんが。
 この地にメタセコイアに囲まれた素晴らしい環境の工業団地の一角の岩崎工業株式会社三重プラントを訪問させていただき,天候にも恵まれ,工業団地とはいえ木々と芝が目立つ素晴らしい工場の雰囲気でした。
 松阪の駅まで岩崎社長様などの者の方々にお迎えに来ていただき,社長様へのインタビューに訪れさせて頂きました。今回のインタビューでは,社長様が蕩々と語られる姿は,大きな拡がりと展開につなげられた経営への自信を感じました。
 企業経営の変遷における,いくつかの段階の,ある意味紆余曲折の場面での正しい判断が現在の事業をもたらしたことがよく分かりました。製品開発から入られたのですが,消費者が求めるものを造るという根本思想が実現された,食洗機でも縮まない蓋をもつ容器,パッキンが一体化された容器蓋,手首が入って洗浄のできる広口で横置きもできる冷水筒,象に踏まれても潰れないゴミ箱など,お客様が求める商品を開発するという高い意欲を感じました。
 プラスチック成形が基本でありながら,医療や航空機分野への新しい展開にも意欲的に取り組まれており,新分野の事業展開とグローバルな展開が大きく実を結ぶものと確信しつつインタビューを終えました。

 

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